故郷よりの手紙

日記、感想、メモ、愚痴を書いています。

ロシアによるウクライナ侵攻への所感

条件が揃えば暴力は利益を最大化させるので、暴力は往々にして合理的な場合がある。あまりに有用な戦略なので、社会契約を結び個人レベルの暴力は禁止されるが、国家より上位の共同体がないのだから、戦争は常に選択肢となり得る。極端な例を挙げると、全く罰せられず、報復もできないような弱い相手なら、殺して欲しいものを奪えば良い。すべての動物は暴力を振るうように収斂しており、暴力の最大単位は国家による戦争である。近現代の日本と一部先進国のみを見て、人間は生来人道的で、両手を挙げて微笑めば恒久的に平和が続くと考えている人が多くいるが、それは全く誤りだと思っている。ヒトの本質は共同体外への加害を選好する、最も暴力的な種である。ヒトの報酬系は敵への加害で活発に活動し、よく発達した認知能力は敵の痛みをよく理解し、器用な手先は相手の自由を奪い、様々な道具や武器を利用して多大な苦痛を与える事ができる。情動面でも認知面でも暴力は強いインセンティブを持ち、故に犯罪はなくならない。暴力は進化上かかる淘汰圧への適応的な行動だからである。国家においても、それが合理的な行動であれば、戦争は選択肢になり得る。武力侵攻を肯定は全くしないが、人ごとではないことは確かである。